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ダーツの始まりは「ラブストーリー」その後の日々  ゴルフに似ているダーツのメンタル       作家・波止蜂弥(はやみはちや)

更新日:8月4日

ダーツの始まりは「ラブストーリー」その後の日々

 ゴルフに似ているダーツのメンタル       作家・波止蜂弥(はやみはちや)


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 はな金の白山駅界隈

 2025年7月半ば、大阪から東京へ向かった。その日はハナの金曜日である。

 毎月、日本のダーツ、それもハードダーツの時代について書くにあたって、案内人の元日本代表の小熊恒久氏と一緒に、先輩である「青柳運送」青柳保之代表取締役に会うのが恒例となっている。

 夕方、都営地下鉄「白山」駅で待ち合わせることにしたのは、青柳氏の地元であり、2人が出会った場所だからである。前回は、行く予定にしていたイタリアンレストランが休みだったため、虎の門のビーガン「罪無き麻婆豆腐」に行くことになった。

 今回、再チャレンジのつもりだったが、予約ができない人気店とのことで、金曜日は無理ということである。エーッ、そうなの? という印象だが、結局、こちらも予約ができない駅近くの戸隠そばの名店に行った。

 その日の仕事が予定より早く終わったとのことで、青柳氏は一足早く店に行って、席を確保してくれていた。異常に暑い夏、その日は倉庫のある流山まで電車で行ったという青柳氏は、われわれを待つ間に、生ビールを美味しそうに飲んでいた。

 白山は文京区にあることもあり、東洋大学をはじめとした学校がたくさんある。若い学生が多いだけではなく、近隣に人気エリア「谷根千」(谷中・根津・千駄木)があることもあって、おしゃれでありながら、どこか下町の風情も感じられる。

 クルマと人通り、坂の多い道を歩いていると、渋谷のお隣り・代官山を歩いているような気分になるのはさておき、その日も2人の出会った白山の思い出のレストランには行けなかった。

 戸隠そば店の後、その日はまだ早いこともあって、近くの「BAR」と書かれた店に寄った。店内はカウンターにわずかなテーブル席がある。若者たちでほぼ満員の様子だったが、外から見えるテーブル席は開いていたので、そこに座って、いまどきの若い客と店の様子をしばし眺めていた。

 団塊の世代(昭和22年~24年生まれ)を代表したようなわれわれ3人が通ったバーやクラブとは微妙にちがうが、サラリーマン連れやデートの2人などの客に、たぶんどこかのバーで修行してきた店主と気の効いたフロア担当のコンビで人気の店ということか。

 ほぼ満員の店に、新しい客が「6人入れますか?」と言ってやってきた。座れるとすれば、われわれのテーブル席ぐらいなものだ。案の定、われわれが店の奥のカウンター席に移動することになった。

「ずいぶん混んでいるんですね」と呟くと「今日は金曜日なので、特別です」と言っていた。

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 メンタル面での対処法?

 ダーツのレジェンド2人を前に、本来であれば取材とまでは行かなくとも、少しはダーツの話をしてもいいはずだが、ビールとおいしい料理を前にすると、本来の目的は二の次になる。

 ダーツがきっかけのため、つきあいは新しくとも貴重な同世代である。特に、その日は大阪での筆者にとっては、重要な仕事の打ち合わせがあった、その帰り道である。

 つい、本来の目的を忘れてしまうわけだが、それでも問わず語りに日本のダーツ草創期の知られざるエピソードがぽろりポロリとこぼれ出る。

 ダーツをいわば卒業した後の青柳氏は、最近はいつもゴルフの予定が入っている。

 前回、ダーツとマージャンの共通する要素について少しだけ触れたが、ダーツもマージャンも、そしてゴルフも究極、人生に似ている。

 いいときもあれば、悪いときもある。ビギナーズラックはつきものだが、特に問題になるのが、必ずスランプがやってくることだ。ゴルフで言うところのイップス病である。

『英国流ダーツ入門』(長谷川洋著)には「メンタルなスポーツとしてのダーツ」の章があり、そこにイメージコントロール、メンタルアプローチ、マイペース、イップス、対処法などについて、詳しく書かれている。

 章の冒頭には「ダーツは、心の動揺、精神面の働きが微妙に腕の筋肉に伝わり、ダーツの飛びに影響を与えるメンタルなスポーツです。練習の積み重ねにより、技術面での安定のほかに自信という精神面の安定を与えられても、いざ試合の時になると思うように投げられないということを、誰もがしばしば経験するものです。場慣れ、試合慣れしてないことも一因ですが、精神面の働きが微妙に腕の筋肉に作用しているのです。心を整えて、常に次のような気持ちでダーツを投げるように心がけたいものです」と書いてある。

「次のような」とはイメージコントロール、自己暗示とプラス思考、忍耐力と精神面の安定の重要性などである。しかし、書いてあることはその通りとわかっていても、必ずしも正しい対処法にはならない。人によって、スランプや不調に陥るきっかけは様々だからである。治るタイミングも同様である。

 そのため「まずは、落ち着いて深呼吸をすること。そして、対戦相手を完全に無視すること」などと、懇切丁寧に記されていても「出来るぐらいならイップスにはならないだろう」と言いたくもなる。

 まるで、付いていない人生のようではないか!


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 イップスに陥ったレジェンド

 日本で初めてのプロフェッショナル・ダーツ団体「JPDO」を立ち上げて、小熊氏をはじめ、当時の関係者から「ダーツに人生を賭けた!」と言われた小山統太郎氏の公的秘書として関わった青柳氏が、小山氏の後を引き継ぐ形で「TDO」(東京ダーツ・オーガニゼーション)の機関紙を創刊するなど、ダーツを盛り上げるのに尽力していたことは前回、紹介した通りである。

 そんな青柳氏だが、基本的には家業の運送業を継ぐ立場にある。ダーツに夢中になることはあっても、もともと命を賭ける対象とはなり得なかった。小熊氏のおかげもあって、結婚相手のY子夫人と出会えただけでも、十分、元は取れている。逆にある意味、少し距離を置いてダーツに向かう余裕があったという。

 当然、多くのプロ連中が陥る深刻なスランプ、特にイップスと称する突然の心身的な危機とは無縁だった。ほど良い、ダーツとの距離を保てていたからである。

 その点、当時の日本で「自分ほど練習していた人間はいない」と自負していた小熊氏はどうなのか?

 人生同様、スランプは誰にでもある。軽い気持ちで「イップスになったことは?」と尋ねてみたのは、深刻なイップスとは無縁だったのではないかと思ったからである。

 だが、意外にも1年ほどイップスになって、結局、それが第一線を退くきっかけになったという。

 改めて、プロの世界の厳しさを思い知らされた形だが、その辛さを、小熊氏は「トッププロだから、イップスになっても、周りに相談することができない」と語っている。

 それまで第一線で、日本代表として、世界を渡り歩いてきた。1日8時間、ダーツの練習をしていたという小熊氏は、当時の日本で「自分ぐらい練習していたプロはいないのだから、上達して当たり前」と信じて、事実、トッププロとして君臨してきた。

 それができたのも、メンタル面での強さがあってのことだが、実は「練習量がダーツに関するメンタルの強さだったのかもしれない」と、小熊氏は才能以上に努力=練習量によって、メンタル面を補っていたのではないかと振り返っている。

 10年以上、日本代表に君臨した後、最後の海外でのダーツの試合の後のこと。気がつくと、イップスになっていた。

 ある日、ちょっとしたことで、投げられなくなるのがイップスである。

 深く考えるまでもなく、ダーツを放つタイミングは映像としてイメージできる。目をつぶれば、自然とその動きが見えてくる。しかし、それがほんのわずかでも狂うと、思ったところには飛んで行かなくなる。そんな微妙なズレが気になりだすと、動くはずの腕が突然、金縛りにあったように動かなくなる。

 焦れば焦るほど、体は動かない。もちろん頭ではわかっているから、何とかなると思うのだが、いざとなると動かない。自分の投げるイメージ、ダーツを離すタイミングは、長年、体の芯にまで染みついているはずだが、手がその通りには動いてくれない。イップスの典型的な症状である。

 仕方なく、目を瞑って、そのイメージ通りに投げると、ダーツが飛んで行く。

 目をつぶると投げられるので、実際にずいぶん投げてもみたという。そうすると投げられるからだが、当然、的には当たっても、思ったようには的中しない。

 イップスを経験したトッププロが、利き腕の右ではなく、あえて左で投げたりして、スランプを脱出するきっかけにしていることも少なくないとか。肩の力を抜くための苦肉の策だが、最先端のトップにいる者でしかわからない意外な真相である。

 ちょうど、イップスに悩まされていた39歳から40歳当時。六本木のダーツバーのオーナーから「ダーツを教えてほしい」と頼まれて、教えることになった。

 例えイップスでも、長年の経験から理想の教え方は身についているので、人に教えることはできる。

 10年以上、日本代表を続けてきて、それまで大きな不振には直面してこなかったという小熊氏は「死にもの狂いで」という言葉を使って、投げられなくなった原因を分析。ふとしたきっかけで、ダーツを持ちすぎると手から離れなくなることなど、理想の投げ方をイメージだけではなく、得意の右から左で投げることによって確認したりしながら、いわば理想の投げ方を伝授した。そのときの経験が、後に小熊氏が出すことになった人気のダーツ本、DVDづくりに役立つのだから、人生は面白い。

 いずれにしろ、仕事に人生など賭けていない筆者には、考えられない話である。

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 人生におけるイップス?

 小熊氏のイップスの話を聞きながら、ふと筆者の場合はどうなのか。人生そして仕事を振り返って、イップスというべき体験はあったのかが気になった。

 人生における「イップス」など、イメージしづらいが、筆者の場合、その昔、映画「イージーライダー」が流行ったのをヒントに「イージーライターです」と話していた。

 何でもイージーに書くためだが、そんな筆者にあるFM局に勤めていた女性が「あなたに小説は書けない」と、なぜか聞いてもいないことを言われて「エッ?」と思ったことがあった。一瞬、思考がイップス状態になって「頼まれれば書くことはあると思うけど、頼まれなければ書かないかも」というのが、そのときの結論であった。

 事実、小説は書かなかったが、雑誌社で遅筆の女流作家の担当をした際に、その仕事の前に一つ青春物の小説を仕上げなければならないというので、代わりにテーマとプロットを書いて、何とか締め切りに間に合わせたことがあった。

 小説もやればできることもわかって、要は書くことに関する「イップス」は、あるようでないというしかない。

 締め切りが来て、書けないのには、当然の理由がある。テーマが見つからなければ書けないし、テーマが決まっていても、データと取材など準備が不足していれば、売り物になる原稿は書けない。「書き直し!」か「没!」にされるのがオチである。

 それはイップスなどという上等なものではなく、書く仕事では書けないのは、単にいろんな面の準備不足ということである。

 文章修行の日々を、雑誌社や週刊誌編集部で送っていたころ、なるほどと思ったのが、デスクがデーターマン(取材手伝い)を集めて言っていた言葉だ。

「お前たちは、自分でテーマやデータをわかっているのか。自分でわからないまま書いてるからおかしな文章になんるんだ。○○(本名)の原稿は自分でわかって書いているから力があるんだ。読む者に伝わるんだよ」と話していた。

 なるほど、そうなんだと納得しながら、思ったものだ。案外、わかっていないでやって

いるんだな、人生も仕事も。


 
 
 

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