ダーツの始まりは「ラブストーリー」その後の日々 76歳でのダーツ再挑戦!? 作家・波止蜂弥(はやみはちや)
- vegita974
- 2025年9月5日
- 読了時間: 8分
更新日:2025年9月5日
ダーツの始まりは「ラブストーリー」その後の日々
76歳でのダーツ再挑戦!? 作家・波止蜂弥(はやみはちや)

池袋「ロサ会館」
2025年8月24日、東京・池袋「ロサ会館」8Fにある「ダーツスタジアム」で行われたダーツ大会「チームバトル2025」をのぞいてきた。
去年の同じころに、開催されたダーツ大会の続きである。主催は東京のダーツの聖地と言われる中板橋のダーツバー「Palms」の浅野眞弥氏と、現役のダーツプロであり、ソフトダーツの神と言われた佐藤敬治氏である。
その日、全国のダーツバーを拠点に活躍するダーツチームが、東京・池袋に集まってくる。会場の池袋「ロサ会館」は、筆者が池袋の大学に入学した1968年にできた、当時は最先端のアミューズメント施設であった。
久しぶりに行けば、西口ロマンス通りもすっかり様変わりしていて、ロサ会館も当時の面影を残している、というよりも「まだあるんだ!」という感じで屹立していた。50年以上前のことであり、記憶も定かではないが、ボーリング場にはよく通っていた。
シネマ・ロサだったかどうかは忘れたが、映画「ドクトル・ジバゴ」、「イージーライダー」などは、学生時代に池袋で見ている。
そんな訳で、ロサ会館の歴史は古い。何しろ、もともとの発祥は池袋・西口に闇市が立った1946年にできた映画館「シネマ・ロサ」である。
池袋西口は作家・石田衣良氏の『池袋ウエストゲートパーク』の舞台として、後年、脚光を浴びているが、ロサ会館は闇市の名残りのあった池袋の区画整理とともに、1968年、新たに誕生した。
その原点である闇市の印象は根深く、大学卒業後、雑誌社に勤めていた時代のことだ。
大学の同期の友人の叔母さんが、浅草六区でスナックバーを経営していた。明治生まれの文豪・永井荷風が愛用していた店だということで、彼の色紙などが掲げられていた。
そんな浅草の店に若者は珍しいようで、常連客に「どこから来たの?」と問われて「池袋から」と言って、驚かれたことがあった。
曰く「池袋か。戦後、青線があったな」とか「池袋の闇市には良く行ったよ」とか、しきりに懐かしがっていたが、その後は、一度も行っていないと言って「闇市・青線はいまはどうなっているの?」と聞かれたことも、懐かしい思い出である。
ちなみに青線とは、戦後、GHQによる公娼廃止令の後、半ば公認で売春が行われていた新宿などの赤線に対して、赤線以外の私娼窟を青線と呼んでいたものだ。
闇市・青線の歴史とともにあるロサ会館の「ロサ」はスペイン語のバラのことである。
当時、輝いて見えたビルも、いまでは長い歴史を隠せないまま、新たなリニューアルを待っている。

ダーツスタジアム池袋
「ロサ会館」は、日本で最初の大型レジャービルというのがうたい文句だったことはさておき「大型・最初」とあって、映画館、ボーリング場などは、開業時からオープンしていたが、当初はテナントが埋まらずに苦戦を強いられていたとか。
何しろ一階のメインテナントが決まらなかったということである。転機となったのがユダヤ系ウクライナ人のミハイル・コーガン氏との出会いであった。当時、太東貿易(後の株式会社タイトー)社長で、クレーンゲームやピンボールなどアミューズメント施設の企画・運営を主な業務にしていた。
そこで、1階をゲームセンターにしたことから、開業3年目にはほぼ満室稼働に至ったということだ。1978年にはスペースインベーダーのブームが到来、来店客が急増している。

ダーツに関しては、2009年に8階ロサボールのフロアに「ダーツスタジアム」がオープンした。「日本初」全42台のダーツ場として5年間、直営の後、現在は台数も60数台の「ダーツスタジアム」になっている。
昨年に引き続いて「チームバトル2025」が行われたダーツスタジアムは、意外にも歴史ある、貴重なダーツの拠点だったわけである。
しかも、筆者の大学入学時ということは、ロサ会館の開業当時は、1年先輩の青柳氏が六本木のダーツバーに通い始めたころであり、小熊氏もその後、青柳氏の白山チームに参加することになる。レジェンドたちのダーツの歩みと、同じだけの歴史を重ねているわけである。

「AMES BALANCE」
当日、そのロサ会館8階のダーツスタジアムに足を踏み入れると、会場のにぎわいは1年前と同じだったが、フロア前面の様子は一変していた。昨年、酸素補給水「WOX」のブースがあった場所は「人・地球にやさしさを」とのキャッチフレーズの「AMES BALANCE」のブースになっていた。
欧米と比べて、日本ではダーツがビジネスとの関わりがさほどないこともあってか、スポンサーがつきにくい傾向がある中、ありがたい限りである。
聞けば「チームバトル」大会の新たなスポンサーとして、今後とも大会を支援していくとのことであった。しかも、前回のWOXは、実はスポンサーでも何でもなかった。
「AMES BALANCE」はアムズ企画株式会社(中村誠一代表取締役社長)の開発商品で、ホタテ貝と炭から生まれた消臭・抗菌作用を持つエコタンテクノロジー(特許)を用いたTシャツ、ボディタオルなど一連の商品である。
エコタンテクノロジーのエコとは、もちろんエコロジーの略だが、タンは炭の炭素のこと。ホタテ貝も炭のもみ殻も、多くは廃棄処理されてしまう。その廃棄物を有効活用する
ことから「エコタン」と名付けられたわけである。
特許は「抗菌性水溶液の生成方法」の発明であるが、エコタンテクノロジーによるテラヘルツ波と遠赤外線効果による血流促進効果などが顕著なため、衣類への応用・開発の結果、一連の衣類関連商品が誕生している。
ダーツ会場では、ボディタオルで両肩を軽くなぜただけで、なぜか体幹が強化されるようで「アムズ・バランス」の名称通り、バランスが良くなって、片足立ちが簡単にできてふらつきがなくなる。
体験者は「エーッ!?」という驚きの体験をする。まるで「魔法の布」である。
だが、効果は顕著でも「何で?」なのかが、いま一つわからない。
2022年12月に発売後、2023年9月の「オーガニックライフスタイルEXPO2023」(東京都立産業貿易センター浜松町館)に出展。いわば、本格的なデビューとなったわけだが、開発者は一級建築士である。もともとはシックハウス症候群への対抗策として開発した、異色の経歴と研究開発のため、まだまだ一般的には知られていない。
小熊氏は、今回は「AMES BALANCE」とプリントされた黒いTシャツを来た「アムズチーム」として参加。見事、予選を勝ち抜いて、トーナメントに進出した。
そこにはアムズ・バランスの効果もあったはずだが、トーナメントの1回戦は相手チームが強豪すぎて、敢えなく敗退となった。次回のチャレンジが期待される。

ソフトダーツ白山店
8月24日当日、オープン前に会場に着いたというレジェンド青柳保之氏(青柳運送代表取締役)は、現役当時のことを思い返しながら「昔は新宿のワシントンホテルで、よくダーツの試合を主催していました」と、話していた。
興味深い話とはいえ、ソフトダーツのゲーム機がずらっと並んだ会場で、各チームのバトルが続く中、昼間からダーツバーにいるような夜の雰囲気とあって、マイクの声、機械の操作音、各チームの歓声、気勢を上げる声などが重なって、じっくり話を聞く環境にはない。
その青柳氏は、忙しい中、駆けつけたこともあって、午後には会場を後にした。後日、
確認してみると、当時はハードダーツの大会で、その多くはホテルや大使館など酒が入るとはいえ、マナーが問題とされるなど、オフィシャルな雰囲気があった。現在のソフトダーツ大会とは、まったく異なる雰囲気だったわけである。
昨年の「チームバトル」で、久しぶりにダーツに復帰した小熊氏は、今回も大会前、チームに迷惑をかけてはいけないとの思いもあってか、しばらく前から試合当日に合わせた調整に取り組んでいた。
元日本代表のレジェンドとしては、現役引退後とはいえ、76歳での再挑戦に甘えているわけにはいかないからだ。出る以上は、元日本代表のイメージを汚してはいけないと、本人は当たり前に思ってのことだが、周りは76歳の小熊氏が佐藤氏らダーツのプロと一緒にチームバトルに出てくる、その心意気に勝ち負け以前に勇気をもらっている感じである。
実は、その小熊氏はソフトダーツが日本に上陸して、ブームになる中、地元・白山でダーツバーをオープンした。「シークレットに」という言葉を使って、その店にダーツ機5台ほどを置いて、どこにも所属せずに始めたということである。
シークレットにというのは、自分が店のオーナーと言えば、来る客に「いらっしゃいませ」とか「ありがとうございます」と言わなければならない。頭を下げるのは嫌だった小熊氏は、元日本代表のレジェンドとして、いわば店の顔として関わったわけである。
店を経営しながら、元日本代表として、全国各地の試合にも出かけていた。
もちろん、周りは小熊氏の店とわかってはいたというが、「一度、自分の店を持ちたかった」と思って始めたものである。
当時は、いわゆるダーツメーカーと組んだ小熊ブランドの商品が業界の3本の指に入るほど売れていた。その後、出した本やDVDなども、その店で撮影していたという。
もっとも、シークレットにということもあってか、一年目は、当然ながら客が来ない。
少しずつ知られるようになって、2年目以降は、大儲けとはいかないが、十分に儲けが出ていた。その後、2~3年経営していたという。十分に採算が取れる、そんなタイミングで、店に来ていた飲食業関係の役員を通して、店をそこそこいい条件で売り抜くことができたそうである。
店を売って、小熊氏は本業である内装関係の仕事にもどったわけである。
しかし、その仕事の関係から、建築・設計が本業であるアムズ企画の「AMES BALANCE」につながるのだから、人の縁とは不思議なものである。
そんなことを考えていると、ところで、タイトルにある「ラブストーリー」はどうなったの? という声が聞こえてきた。







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