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ダーツの始まりは「ラブストーリー」その後の日々(11)  森瑶子の小説「アイランド」は「愛ランド」!? 作家・波止蜂弥(はやみはちや)

更新日:11月4日

ダーツの始まりは「ラブストーリー」その後の日々(11)

 森瑶子の小説「アイランド」は「愛ランド」!? 作家・波止蜂弥(はやみはちや)


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 チーム編成の最難関?

 アイヴァン・ブラッキン氏とウィリアム・フィッツジェラルド氏との共著『英国流ダーツの本』(大陸書房)の「ダーツチームの編成」の章で、ダーツが面白くなってくると、仲間内だけの世界から、チームを編成し、見知らぬプレーヤーたちとのいわば他流試合をしたくなると書いてある。

 チームの編成に関しては「チームの中心はマネージャー」とあり、マネージャーの役割から仕事、良いマネージャーの条件、試合後の後始末までが網羅されている。

 興味深いのが、もしかしたらブラッキン氏特有の冗談なのかもしれないが「最大の難関はメンバーの細君たち」との見出しの一節があることだ。

「いかにメンバーを厳選しても、プレーヤーの細君やガールフレンドたちについての配慮がゆき届いていないと、あとで困ることになる。ダーツ・チームにおいての最大の敵は、対戦相手にあらず、実は自分たちの女房殿や女友達の無理解なのである」

 要はチームの編成ができたとしても、彼女たちの理解が得られないと、肝心の試合の日に出て来れなくなったりするためだ。

 ホントかね? という気もするが、そこには案外、ブラッキン氏自身、ダーツの試合を優先するため、妻・森瑶子さんや娘たち相手に肩身の狭い思いをしていたからのようにも思えてくる。

 ラブストーリーの結末は、常に切ない。

 圧倒的な経済力の差があっても、保守的で亭主関白のイギリス夫は、彼女に第一は子どもたちの母の役割、第二に妻の役割を求めていて、作家・森瑶子の役割は三番目だった。

 そんな夫の機嫌を取りながら、彼女は夫との諍い、家庭内での実情をあくまで小説という形で、あるいはエッセイにして書いていた。

 読者はなぜ、彼女が離婚をしないのかと思ったものだが、それは娘たちにしても同じ思いだった。その答えは彼女に聞くしかないが、二人の夫婦関係は夫と家の犠牲になる女流作家に欠かせない小説やエッセイの材料であり、創作を続けるエネルギーになっていたのだと思うしかあるまい。

 そんな彼女らしいのが、小柄な森瑶子さんの肩パット入りの服が、まるで戦闘服のように、セレブでハイソな女性を演じる鎧のように見えたことである。

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 森瑶子さんの文庫本

 2025年10月の休日、上京中の空いた時間に豊島区立図書館に行ってみた。

 なぜ、東京の図書館に行ったのかは、筆者の住む新潟の図書館には森瑶子さんの本がほとんど置いてないからだ。ホテルをチェックアウトした後、東京の図書館にならあるはずだと思ったためである。

 書籍の並んだ棚にはないため、パソコン検索してみると、およそ100冊、彼女の本が所蔵されていた。幼少時から東京で育った者には、特に驚くことではないが、図書に限らず、東京とのあまりの文化的落差には、いつも驚かされる。

 地方在住者の知らない中央との差である。何しろ、豊島区立図書館に限らず、練馬区の光が丘図書館でも、新潟市の中央図書館「ほんぽーと」よりも、充実しているのではないかとの印象がある。

 本を請求して出してもらうのは、場合によっては時間を要するので、こちらも「もしかして」と思って、池袋サンシャイン通りにある「ブックオフ」に行ってみた。

『指輪』を筆頭に角川春樹事務所からハルキ文庫になっている『あなたに電話』、『デザートはあなた』、『夏の終わり、情事ほか』などが並んでいた。

 意外(?)なことに、森瑶子さんの作品は小説『指輪』が、死後およそ30年後の2024年6月にハルキ文庫で復活して以来、2025年になって、次々と復活していた。

 バブル期に活躍した都会派でセレブの森瑶子さんだけに、やはり東京が似合うということかもしれない。

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 カナダの島と与論島の別荘

 彼女の作品には、自らをモデルにしている分身めいた女流作家・廻(めぐり)燿子あるいは廻陽子が登場する。

『デザートはあなた』には、彼女の別荘がある与論島も舞台になっているが、表紙をめくると「バルセロナの今井田勲と我が共犯者大西俊介に捧げる」との献辞が載っている。

 今井田勲のモデルは、ガウディの教会「サグラダファミリア」で働く彫刻家・外尾悦郎氏である。一方、大西俊介は大手広告代理店のテレビ制作部に籍を置く人間という設定になっている。

 その小説の中で「あなた(作家・廻燿子)の小説世界をドラマ化できるディレクターは日本人にはいないですよ」との大西俊介の会話が登場する。

 対する廻燿子は「私の理想はヴィスコンティよ。彼は貴族でお金持ちだった。団地に毛の生えたようなマンションに住んでいる我々日本人の大多数の人間には、逆立ちしたって本物のリッチな世界は描けるはずはないのよ」「でも、その逆は可能なの」と与論島での会話を紹介している。

 その象徴が、1987に購入したカナダの島ノルウェイ・アイランドと2年後に当時1億円以上かけて建設した与論島の別荘であろう。バブル全盛期とはいえ、森家の豪勢な暮らしぶりは桁外れであった。

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 不思議な愛ランド

 1993年7月に亡くなった森瑶子さんのお墓がある与論島は、彼女が島を舞台にした作品『アイランド』に書いているように、とにかく美しい島である。

「知ってますか、世界中の海が汚染されているのに、あそこの島だけがいまだに太古の透明さを保っている理由」と問いかけている。

 理由は川が一本もない。だから、生活排水が海に流れ込まない。

 そんな与論島に伝わるという天の川伝説を絡めた小説『アイランド』は、SF仕立ての愛のストーリーである。アマゾンのレビューなどはおおむね好評である。

 与論島は森瑶子さんにとって、不思議な「愛ランド」なのだろう。

 バブル時代のおしゃれな恋愛を描いてきた彼女が、亡くなる5年前、1988年に出版した本格的なラブストーリーだが、その舞台は15年後の2003年である。

 2025年の現在では、小説の舞台を22年も過ぎているため、時代が進み過ぎている部分と遅れたままの部分とがあるのは、ご愛嬌としても、作品としては十分に森瑶子ファン以外にも楽しめる。

 同時に、あえてSF仕立てにしなくても良かったのではないか。人類は遠い宇宙から届いた星のカケラから生まれたのだから、天の川の流れる宇宙を視野に、回想・生まれ変わりを含めた未来を、アイランドの伝説と絡めて描けば、あまりに的外れな未来(すでに過ぎている)にシラけることなく、本格的なラブストーリーとして、彼女の代表作になったのではないかとの印象もある。

 ダーツの元日本代表のレジェンド・小熊恒久氏とブラッキン氏の話題になったときに、

「いつか与論島にブラッキン氏を訪ねて行きたいね」と、以前に書いている。

 とはいえ、そうそう気軽に行ける島でもない。

 だが、始まりはラブストーリーの、そもそもの原点はブラッキン氏と森瑶子さんとの出会いである。その結末を確かめるためにも、やはり与論島は欠かせない。

 ということで、われわれの代わりに一足先に現地を訪ねた女性ジャーナリスト・島崎今日子さんが書いた『森瑶子の帽子』(幻冬舎)を開いてみた。

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 亭主関白の夫の真実

 島崎今日子さんは「森瑶子は、どこまでもわかりあえない男女の関係を書いた作家である」と書いている。もちろん、もう一つのテーマは、森文学の中核をなす家族、夫婦の愛憎と母娘の葛藤であった。

 彼女が訪ねていった日、少し背中が丸くなったアロハ姿のブラッキン氏が笑って左手を差し出した。

 その彼は森さんも娘のマリアさんも書いているように、4歳まで養護施設で過ごした。

その彼は両親を実の親だと思って育った。

 そんな複雑な生い立ちを森さんが知るのは、亡くなる2年前のことだったという。

 そこに、どんな屈折した思いがあったかはわからないが、与論島で彼は小説やエッセイに書かれた自分のイメージについて「僕は亭主関白だったつもりはまったくありません」と語っている。

 その他、小説やエッセイに描かれた自分の姿が実際とは異なると、彼の言い分を紹介している。

 本当らしい嘘を書くのが小説家の本分である。サービス精神も加味して、読者の興味を引くもの、面白いと思う方向へと向かって、それが成功することを喜ぶ作家の思いもあって、森家の実態がずいぶん異なっているのは当然のことだろう。

 事実、ガンのため入院していた病室で、森瑶子さんはブラッキン氏に「ごめんなさい。あなたをわざと怒らせて、書くために自分を刺激した」と謝ったという。その言葉に、思っていたほど、2人の関係が壊れていたわけではないとわかって、ホッとしたと語っている。

「雅代(森さんの本名)は僕がはじめて愛した女性で、その愛はいつまでも変わらない」

と、島崎今日子さんに語っている。

 森瑶子さんも、死後の遺産相続などを任された事務所社長へのファックスで「最終的に夫は私には大切な人なので、私の人生から外すつもりもないように、財産的にも不利なことにならないように、改めてお願いしたいと思います」と送ってきたという。

 二人のラブストーリーの意外な真相である。

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 ハワイのスィートルーム

「ゴージャスの代名詞」のようだと言われた森瑶子さんはさておき「君のラブストーリーはどうなったの?」と聞かれて、彼女が活躍していた時代を思い出した。

 筆者は先祖の遺徳としか思えないが、女傑と言われて、岸信介政権当時の農林大臣と交流のあったの祖母のお百度参りの効果もあってか、家族会議で決まった長島茂雄の母校に現役で合格した。

 父親の家系は医者で、新潟の御殿医だったため、本家はいまも医者をしている。江戸期に生まれればお姫様だとの浮き世離れした母親に育てられ、そんなDNAめいたものが、どこかに残っているのか。作家の真似ごとも、何とか様になっているようでもある。

 いわゆるライター稼業も、最初に席を置いた雑誌編集部時代から、仕事にはならなかったが、デビュー後間もないアーティスト横尾忠則氏やフランスで脚光を浴びて、日本に帰国していたケンゾーこと高田賢三氏との企画を実現しようとしていた。

 最初の彼女同様、現在の女房とも六本木には縁がある。音楽関係の知人から紹介されて会ったのが、当時六本木にあった「ボギーズ・バー」だからである。

 一回り年下の彼女とあって、何かと誤解めいたものもあり、結婚式は2人だけで、ハワイの教会で挙げている。だが、東京での披露宴は、ボギーズ・バーを借り切って行った。

 ハワイの教会での挙式では、以前に歌手・八神純子さんの結婚式にも介添え役をしたというロールスロイスの運転手が、女房をエスコートしてくれた。

 結婚式で贈られた白い花のレイをホテル・ハイヤットリージェンシーのフロントに寄って「冷蔵庫に保管しておいて」と頼んだら、冷蔵庫は特にないとの返事である。代わりに冷蔵庫のあるスィートルームを用意すると言われて、安い山側の部屋から最上階のエレベーターキー付きの部屋で、しばらく過ごすことになった。

 ダーツとは関係ないが、少しはセレブになった気分を味わうことになった。

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 太陽海岸でのバカンス

 バブル当時とはいえ、一介のライターに通常、華やかな世界は取材でしかあり得ない。

 英語の専門学校を出た女房は、カナダへの留学経験がある。筆者はラスベガス賭博ツアー事件やアメリカトヨタ取材などで、渡米すると一月以上、アメリカで過ごしたり、イギリス・ヨーロッパに飛んだりしていた。

 海外に多少、なじみがあるとはいえ、結婚後は、そうそう簡単には行けない。

 そんな中、友人がラスベガスで挙式した際に、夫婦で参列した。当時、女房のおじさんが、ロス近郊の市長をしていたので、レンタカーでラスベガスからグランドキャニオンを回って、訪ねていったり。その後、パリに飛んで、スペインの僻地まで行っている。

 なぜか、お固いテーマが多い中、コシノ・ジュンコ、山本寛斎など、デザイナーには縁があった。来日した仏デザイナーのファッションショーに、彼の服を着用しているという美人女優と一緒に招待されたこともある。

 そのデザイナーの関係者から「パリに来るなら我が家を訪ねて」と言われて、花を買って訪ねていった。

 独身でパリの高級マンションに住む彼は、遠来の客にお手製のおでんを用意してくれていた。ついでに、寝室まで案内されて、ベッドがパープルなどいかにもという感じのインテリアになっていた。なるほどデザイナーの周りが、噂通りホモの世界だと知ったことなど、貴重な体験もある。

 ちょうどバカンスシーズンでもあり、スペインではマドリッド、バルセロナの後、最南端のコスタ・デル・ソル(太陽海岸)の新興リゾート地で1週間ほど過ごしている。フランスなどからもバカンスに訪れる人気のリゾート地で、およそ1月近く過ごす彼らに混じって、欧米のバカンスの過ごし方の一端に触れてきた。

 筆者の、少しはセレブに近づいたバブルな時代の思い出である。

 ダーツとは無関係のようだが、ハードダーツの時代は、そうした高度成長期からバブルの雰囲気の中で、日本におけるダーツブームをつくり出してきたわけである。

 ハードダーツと現在主流のソフトダーツのちがいは何なのかが、改めて気にかかる。


 
 
 

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