フォトギャラリー 上賀茂神社に神事「烏相撲」を見に行く 悠仁親王「加冠の儀」に連なる? 平安の雅び
- vegita974
- 10月4日
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更新日:10月4日
フォトギャラリー 上賀茂神社に神事「烏相撲」を見に行く
悠仁親王「加冠の儀」に連なる? 平安の雅び

将来の天皇候補とはいえ、秋篠宮悠仁親王はこれまであまりメディアの前面に出る機会は少なく、その本当の姿は見えてきませんでした。そんな印象が一変したのが、女性天皇論が脚光を浴びる中での、悠仁様の成年式「加冠の儀」です。
それは、これまで伝わってきた、いまどきの大学に通う若者像からは想像もできない変わりようでした。宮中絵巻を紐解くがごとき威厳とともに、平安の雅びが感じられる、新たな感動を呼ぶものとなったからです。
悠仁親王の凛々しい所作・振る舞いに感動を覚えた3日後、長く連綿と続く伝統の力を再認識する機会となったのが、飛鳥時代末期に創建された京都最古の上賀茂神社での烏相撲です。それは相撲が国技であり、また神事であることがわかる雅びなひとときでした。
2025年9月9日の重陽の節句に京都・上賀茂神社に行ったのは、神社からの残暑見舞いに、11時から始まる「烏相撲」の案内が届いていたためです。
スポーツ観戦なら11時でも構いませんが、神事は疎かにはできません。烏相撲に先立つ重陽神事(儀式・祭典)は10時に始まります。
崇敬者は、受付の社務所に行って、用意された「上賀茂神社」と書かれた布製の小忌衣(おみごろも)を首からかけて、すでに集まっている列の後ろに並びます。
時間が来て、まずは手水を使った後、楼門を通って、本殿への階段を上がります。本殿脇の建屋に案内されて、神殿での儀式が終わるのを待っていると、やがて宮司以下、烏相撲の行事、小学生力士らが本殿前に集まってきて、祭典が行われます。
地元の上賀茂小学校をはじめとした近くの小学3年~6年生18名は、スポーツ回し姿とはいえ、いかにも現代っ子、相撲よりは勉強の似合いそうなヒョロヒョロとしたひ弱な感じです。
9月とはいえ、例年にない猛暑の中、神社に冷房はありません。代わりに式が進んでいくうちに、少しだけ神前に相応しい涼やかな風が流れてきます。神のしるしです。
式典・参拝が終わって、いよいよ11時から烏相撲が始まります。われわれ崇敬者には土俵を正面に見る特等席が用意されていました。向かい側正面に斎王代並びに宮司らが座っています。
神社でもらった「からす相撲略記」には「細殿前庭で刀袮が烏飛びなどの作法をし、児童が相撲をとるからす相撲という珍しい神事が行われる」と書かれています。
刀袮とは一般的な辞書には載っていませんが、古代から中世にかけて、公事に関与する職名です。
烏帽子、浄衣姿の刀袮が、西東の幄舎(あくしゃ=神事用の仮屋)から最初に弓、次に刀、扇、円座の順序で持って出てピョンピョンと烏の躍る如く三度横飛びして、弓矢、太刀を立砂に立てかけ、円座に座って扇を使いながら、始めに袮宜方(ねぎかた)の刀袮が「カーカーカー」と、次に祝方(ほうりかた)の刀袮が「コーコーコー」と交互に三々九度烏鳴きをし、終わって、弓矢等を一緒に持って三々九躍して元の幄舎にもどります。
その後、行事が袮宜方・祝方それぞれの児童を引率して立砂を3回廻って、袮宜方・祝方の左右に分かれて、相撲が始まります。
回しは日本相撲協会からの奉納品ということで、ひ弱に見えた小学生力士も、神前と回しの霊験と効果でしょうか、気合が入ったようで、いざ対決が始まってみると、簡単には勝負がつかない熱戦を繰り広げていました。
対抗戦の後には、3人勝ち抜きトーナメントが続きます。今回は、時間の関係か、あるいは猛暑のためでしょうか。3人抜きのみでしたが、5人抜きも行われると書いてあります。ひ弱に見えた小学生力士は、疲れ知らずでした。
終了後、菊の花びらを浮かべた菊酒が振る舞われ、インバウンド客で賑わう京都での貴重なひととき、いのちの洗濯をしてきた気分が味わえます。
掲載写真について
京都タワーホテルに泊まれば、オーバーツーリズムの声もあるインバウンド観光客並びに修学旅行気分を味わうこともできます。
10時前、会場となる神殿前の土俵の周りには、すでに観覧席とその後ろを取り巻くように、一般見学者が集まっていました。
神山を象った東西の立砂がある細殿前庭に設けられた土俵で、斎王代、宮司等を前に、神事としての相撲が行われるのを、アジアに限らず、海外からの観光客が熱心に見ていました。
熱戦の続いた烏相撲の終了後には、斎王代、宮司らとの記念撮影が行われる中、細殿前庭を後にしました。
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