特派員レポート インド版・渋谷スクランブル交差点? 逆走車、動物、何でもありのインドでオートバイの後ろに乗せられる!
- vegita974
- 12 時間前
- 読了時間: 8分
特派員レポート インド版・渋谷スクランブル交差点?
逆走車、動物、何でもありのインドでオートバイの後ろに乗せられる!

典型的なインド弾丸ツアー
インド滞在4日目、2025年2月21日の金曜日、インド弾丸ツアーの目玉である世界遺産巡りの最初の目的地、アグラに向かう。
JTBの『るるぶ情報版インド』は、白亜の霊廟タージマハル(アグラ)の表紙に「デリー、アグラ、ジャイプール、ヴァラナシ」との地名が印刷されている。
このうち、ガンジス河で有名なヒンズー教の聖地ヴァラナシは遠いため、多くの日本人旅行者はデリー・アグラ・ジャイプールの3地域を巡る世界遺産ツアーを行っている。
事実、インドで言葉を交わした日本人旅行者は「タージマハルに行ってきました」とか
「ジャイプールに泊まった」と話していた。
もっとも、インドは広い。デリーからアグラまでは、約200キロ。朝食を簡単にすませた8時には、運転手が迎えにくる。
朝食はレストランがオープンする7時過ぎに行った。前日、エレベーターで一緒になった日本人グループが来ていて、ここでも「ビジネスですか?」と聞かれてジャパン・エキスポと言っても、当然知らない。「日本人が多いですね」というので、いまは祭りの時期だと言っても、祭りのことも知らなかった。案外そんなものである。
朝食は炒めた米と白いスープ、ジュースはないため、コーヒーで簡単に済ませた。
8時過ぎ、途中、ガソリンスタンドに寄ってから、ラッシュの道をアグラに向かった。
街道脇にあるGSは、すぐ隣にマクドナルドとケンタッキーがある場所だが、道路周辺は瓦礫が目立つ不思議な場所である。
デコボコの道路を行くと、あちらこちらに牛がいる。渋滞を抜けて、ハイウェイに乗ると、ようやくスムーズに動きだして、10時過ぎにドライブインでコーヒーを飲んだ。チャイ(紅茶)が主流のインドでは、美味しいコーヒーは望めないとのインド通のアドバイスを忘れていて頼んだものだが、出てきたコーヒーはバリスタが淹れたようなお洒落なカプチーノで、意外だったが、インドで飲んだコーヒーで一番美味しかった。
隣にはスターバックス、ケンタッキーなどが並んでいる。運転手は「テイク・ア・タイム」とか行って、外に出ていった。トイレかと思ったら、逆方向である。トイレは店内のためチップがいる。前日のジャパン・エキスポでも同様で、小銭がないため、100とか200とか、500ルピーが消えていく。何かと面倒臭い。
運転手は外でタバコでも吸っているのかと思ったら、何やら電話をしている。要は仕事中ということだ。

ショップ巡りのツアー商法?
昼過ぎ、アグラに着いて、交差点脇のGS前にクルマを止めた。ガソリンを入れるのかと思っていたら、中年の男が後部座席に乗り込んできた。日本語ができるガイドである。
「必要ないなら断る」とか言っていたが、まさか下ろすわけにはいかないだろう。
断るまでもなく、金曜日はタージマハルは閉まっている。そのため、休日は88歳の両親をお祭りに連れていくのだが、運転手から連絡があったので、筆者のガイドをすることになったといった事情を聞かされることになる。
家には大学に通っている子どもがいて、本人は大学を卒業後、旅行ガイドの仕事をしている。ヒンズー語、英語と片言の日本語ガイドである。デリーの旅行社では「入場料、ランチ代込みでディナーなどは別」と聞いていたが、明らかに話がちがう。
慣れない日本人のために、日本語のわかるガイドを用意したと言われれば、そうなの?
という感じだが、とりあえず昼食のレストランに向かった。インドのベジタリアンメニューはさておき「ここがレストラン?」という感じの一角にある。とはいえ、中はきれいである。
昼食後、アグラフォート(城)へ向かう。運転手に英語で案内してもらえば十分だが、これもツアー商法なのか。ガイドと言っても、旅行案内同様、聞いてもすぐに忘れるし、同じことを何度も話している。「るるぶ」を見れば、大体のことはわかる。
大理石の一枚板の壁や柱、彫刻など、さすが世界遺産。写真を撮ると霊気が籠もっている感じである。
タージマハルは墓(霊廟)であるが、こちらも5代目王が幽閉されたり、征服後、支配した英国人指導者の墓もある。
広場のベンチに座って「この後、どこに行きたいのか」と聞かれたが、特に予定などないため、代々象嵌細工を生業にしている実演つきの店に連れて行かれた。
買い物をするつもりはないので、チャイを御馳走になった最後に、お茶代として500ルピーを置いていくと、籠の中から小さなマグネット付きのピースを包んでくれた。
アーティストはリスペクトしていると言ったら、感じるところがあったようで、祖父がインデラ・ガンジーと並んで撮った写真がある他、叔父さんが世田谷・三軒茶屋に住んでいるといって、父親が日本を訪ねたときの写真を見せてくれた。彼の奥さんは日本人で、沖縄が好きだと言っていた。どこか沖縄やアイヌと通じる雰囲気がある。
途中ビールを買った後、両替のためと称して、インドで有名な百貨店というブッダティーセンターに連れていかれた。宿泊するホテルの裏にある。
旅行社のボスから「アゴラとジァイプールでは買い物はするな」と言われていたのを、運転手も聞いているはずだが、まったく無視している。結局、チャイと3万数千円する刺繍入りのカシミアショールを買うことになる。まあ、見れば買いたくもなる。

まるで渋谷スクランブル交差点?
翌22日は早朝、夕日とともに美しいというタージマハルの日の出を見るため、日本語ガイドが6時半にホテルに迎えにくる。
当然、車で来るものだと思っていたら「バイクで来た」と言って、ヘルメットを渡された。エッ! 聞いてないけど。
というか、首都デリーに限らず、アグラに来る途中でのインドの道路事情を見ながら、
「まるで渋谷スクランブル交差点のインド版ではないの?」との印象を抱いた。しかも、日本の場合は人だが、インドではクルマと人とがトラフィックジャングルの中を、絶妙の間、タイミングでぶつかることなくすれ違っていく。
クラクションがうるさいのは当然だが、よくまあぶつかることなく、うまい具合に機能しているものだと感心する。
ハイウェイの道路脇には、たまに「人・動物」は通行禁止の看板も見かけるが、そこは何でもありのインドである。道路には牛も馬も犬もいる。道端でのドライバーの立ちションは普通で、逆走車、牛などの動物、人がクルマの脇や前を芸当のように横切っていく。
そんなインドで、おそらく600キロ近く走っても、なぜか自動車事故を見なかったのだから、まさに渋谷スクランブル交差点のクルマ版である。
唯一、事故を目撃したのは、アグラ市内の道路で走行中、突然、ドンという音がしてクルマがストップしたときだ。クルマに何か何かがぶつかったのかと思ったら、前を行くオーバイが道路を横切るおばあさんを突き飛ばした音であった。
「うわっ、大変だ!」と思ったら、女性は周りの人たちに支えられながら、普通に立ち上がって「大丈夫」との様子であった。見たところ、なかなかタフで、単なる打撲症で済んだようだ。
ちなみに、東京・渋谷のスクランブル交差点はインドでも、みなさん知っていた。

オートバイで感じるインドの風
70歳過ぎて、そんなインドでバイクの後ろに乗ることになるとは、あまりに想定外であった。確かに、インドの道路では、当たり前に2人乗りで走っていた。それを日本の老人が体験する。
「朝は冷えるので注意」と旅行案内には書いてある。夏物の上着は着ていたが、まさかバイクとは思わないので、インドの朝の風を感じて、寒いぐらいであった。
途中、お寺の前にバイクを置いて、そこからはオートリクシャーに乗り換えて、細いデコボコ道を揺られながら入り口まで行く。これまた話がちがうが、往復200ルピー払わされた。
タージマハルは、朝早くから門の前には大勢の人が並んでいる。外国人ツアー客の列に並んで、まあまあスムーズに通ることはできた。事前に登録してあり、ガイドがスマホで筆者の分をタッチすると、通れる仕組みである。
日本語のガイドの話は「るるぶ」に全部書いてあるわけではないが、自分のペースで見て歩けないから迷惑でしかない。だが、普通では体験できないツアーになったと思えば、ありがたいというべきか。
前日、赤砂岩でできたアグラ城から、ヤムナー河を隔てて、向かい側に見えていたタージマハルは、世界一美しいとされる白大理石でできた霊廟である。
1632年から22年の歳月をかけて造られたタージマハルは、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが最愛の妻ムムダズ・マハールの死に捧げた霊廟と「るるぶ」には書いてある。
造営には3万人近い建築家や職人が集められ、国が傾くほどの費用がかかったという。
アグラ城とともに、1983年に世界遺産に登録された。
弾丸ツアー旅行者にとっては、現地に行くことで、目的の大半は完了する。写真を撮って、人それぞれのインド体験は中途半端であり、無駄なようでも、貴重な機会である。
アグラ城、タージマハルの見学が終わって、ホテルにもどると、ガイド料が「2500ルピー」というので、部屋にもどって、日本から持ってきた見た目がやたら立派なクッキ
ーとチップとして1500ルピーを渡した。
旅の最後にわかるように余計な出費である。
Comments