特派員レポート ヒンズー最大のお祭り 最後の日曜日の過ごし方? スラム街(?)の先にあったインドの中流家庭に誘われた!
- vegita974
- 14 時間前
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特派員レポート ヒンズー最大のお祭り 最後の日曜日の過ごし方?
スラム街(?)の先にあったインドの中流家庭に誘われた!

「家に来て」と言われて
インド滞在5日目、2月23日の日曜日。ジャイプールのホテルは前日のアグラと同じ系列だが、ここではチップは誰も払っていない。部屋にはボトル入りの水が2本のみで、ミニバーなどがあった前日とはずいぶんちがう。
とはいえ、風呂(なぜかガラス張り)がバスタブ付きで、バスジェルがあるため、泡々の浴槽で久しぶりにリフレッシュできた。そのせいか、広いダブルベッドで、朝目覚めると、横になって寝ていた。寝ながら、あちこち動き回っていたわけである。
近くのホテルに泊まっている運転手が、9時にホテルに迎えに来て、一路ジャイプールに向かう。時間には正確である。
ピンクハウス(風の宮殿)を目指して、旧市街の中心地にある交差点に着くと、ちょうど祭りの行列が宮殿の方向に向かっていた。
グッドタイミングのため降りて写真を撮った。運転手が筆者の記念写真を撮ってくれて見学はなし。まさに弾丸ツアーである。
インドの道路には、どこでも牛や馬や犬の姿を見る。道端でのドライバーの立ちションも普通で、まさに何でもあり。
インド滞在中は、何かと動物を目にする機会が多かった。運転手も呆れていたが、牛や馬、山羊や羊はともかく、ラクダやクジャク、尾のきれいな鶏、そして象。唯一見られなかったのが、クルマを止めたアンベール城下の湖にいるというアリゲータである。
その後は、一路デリーを目指すのかと思ったら、運転手が「今日は家に来てほしい」という。家でのランチというのだが、これまた「エーッ!?」という展開である。
巧みなセールストークの延長という気もしないでもないが、こんな機会でもなければ、インドの7家族が住む中流家庭に行くことなどあり得ない。
いまさら警戒しても仕方がない。インド最大の祭りの最中、しかも日曜日である。昨日のガイドも言っていたが、本当は家族と過ごす日のはずだ。
デリーの手前、メトロの終点にある彼の家に立ち寄るにはちょうどいいコースである。
インドのメトロは日本の技術者が協力してできたもので、その事実は地元でもよく知られている。しかも、工事を仕切ったのが女性だということで、実際に『マダム、これが俺たちのメトロだ! インドで地下鉄整備に挑む女性土木技術者の奮闘記』(佐伯印刷出版部)という一冊になっている。



チャイニーズ!と言われて
その日は7家族が集まって、家族会議があるようで、表通りから少し入ったところにク
ルマを止めて「少し散歩して行く」と言われて歩いっていった。
インドでもゲートのある高級住宅地は別にして、どこもスラム街と変わらない印象である。途中、ゴミが捨てられている一角に牛がいるなど、なかなか日本人が足を踏み入れる場所ではない。
着くと、家の奥の部屋で、両親、おじいさん、おじさんetcを紹介された後、隣のベッドのある部屋に案内され、妹がお茶とクッキーを持ってきてくれた。お茶その後、ランチというわけである。
お菓子は銀紙で覆っているのかという感じの柔らかいインド風自家製クッキーである。
お祭り用とかで、意外と美味しい。
インドではランチは通常12時から3時だが、すでに3時を過ぎている。チャパティ2枚と2品。キャベツとじゃがいもなどの野菜、もう1品は白っぽいヨーグルト風味のスープである。
「気に入ったか」と聞かれて、ナンバー1、ナンバー2と指摘していたら、チャパティは
というので「ウーン、みんなナンバー1」と答えたら、冗談が通じたのか、受けていた。
家の外で子どもたちが「ジャパニーズ!」何とか何とかと言って、開いているドアから何やら騒いでいる声が聞こえた。「日本人、帰れ!」とか言っているのではないか。
インドでは日本人は歓迎されているはずだが、明らかに中国人と同じような扱いのニュアンスである。帰りには路地に屯する子どもたちから「チャイニーズ!」とバカにする声を投げつけられた。「中国人はあっちに行け」とか「来るな」と言っているようだが、あちこち海外には行ったが、チャイニーズと言われたことはなかったので、ちょっと意外であった。
まあ、インドの言葉も、多くの外国語同様、普通の会話にしろ、家族会議の場での話にしろ、まるでケンカでもしているのかという感じでもある。
高速道路のサービスエリアでトイレ(個室)に入ると、白い陶器製の便器には便座がない。インドでは、その上に乗って用を足すとか。あるいは、相撲の立ち会いではないが、
中腰になって用を済ませるのだとか。
前日の店のトイレは、洋式とは異なる和式風だったが、小便器は日本とちがって、飛び散らないように、日本人には届きそうもない高い位置にある。

インドに関する個人的な体験
これは反省なのか、正解なのか。微妙ではあるが、人生同様、何が失敗で何が成功なのかは一つに決められない。人それぞれ、いいと思えばいい。悪いと思えば悪い。「インドに行った」と言えば、人によって自慢のポイントは異なる。
1980年代、90年代、ビートルズの影響などの他、ヨガ、アーユルベーダ、瞑想などのブームもあり、インドに行く日本人は少なくなかった。筆者の周りで、最初に聞いたのは、編集プロダクションにいた新人ライターの大学時代の話である。金のない若者の典型的なツアーで、いまのようにマクドナルドもケンタッーキーもない。毎日、香辛料の効いたカレーターリー(定食/南ではミールス)しかない。しかも、その辛さは半端ではない。
たまたま麹町のインド料理店「アジャンタ」に行ったときに、本格的な香辛料の辛さに一瞬にしてインドのひどい放浪生活が蘇って、涙を流していた。
だが、本人には辛く厳しいインド体験でも、聞く側は通常、味わうことができない貴重な体験談となる。失敗と成功、それぞれが見よう、聞きようによっては自慢話になる。
ものは考え方次第だ。少なくとも「イヤーまいったなぁ」と思いながらも、それを楽しめれば、有意義な、人に話せる立派な自慢話になる。
何でもありのインド旅行に関する、もっともディープな体験談は、これまた広いインドの極端な一面でしかないが、マクロビオティック親子のインド旅行だろう。
リシュケシュ、ガンジス河での聖人との出会いと別れ。沐浴する人たち、そのそばで遺体が焼かれる光景は、30数年後のいまも残っている。26日で終わるヒンズー最大のお祭りの期間中、毎日TVで伝えられていた。
あるいは、最近のインド体験談では、仏教の聖地、ブッダガヤに行った話がある。釈迦が仏教を開いた聖地だが、そのインドではすでに仏教は、ほとんど廃れていて、跡形もない。そんな仏教の現在地を見せられたということである。
筆者の個人的なインド体験は、友人のところで会ったインドの聖人、富豪夫婦、バラモン僧ということになる。
インドの聖人やバラモン僧と身近に接して、講演の司会役をするなど、得るところが多かったためだが、そんなエピソードとともに、記憶に残るのはインドの聖人との関わりである。その後、サンタモニカに行ったときに、アメリカで活躍したインドの聖人が眠る聖地に、特別に案内されたことなど、意外な縁がある。


何か、嫌な予感?
今回のツアーを振り返ると、移動時間が大半との印象で、まさに駆け足の弾丸ツアーである。運転手が、何度も「来年は2週間かけて来て」と言っていた。アグラにしろ、ジャイプールにしろ、2泊は必要(飛行機を利用しない場合)だからである。
日本に当てはめれば、例えば東京から新幹線で福岡か広島で1泊、大阪か京都で1泊して東京に帰ってくるような印象だ。
とはいえ、お祭りの最中の日曜日に現地にいて、祭りの行列を見ることができるのは、よほどラッキーだと言われた。デリーでも夜空に花火が上がるのを見た。祭りの雰囲気をそれなりに味わえるのだから、確かに都合良くできている。
弾丸ツアーの最後はデリーにもどって、ヘリティジ地区にあるホテルに2泊する。
5つ星ホテルだと思っていたら、当たり前だが、そうではなかった。狭い路地をオートリクシャーと人をかき分けながらホテルに着いた。こんなところ、通れるの?というような路地とホテル前のスペースを当たり前のように入っていく。
「エッ! ここ?」というホテルだが、ドアボーイの老人がいて、昔は立派なホテルだったことはわかる。部屋も床は大理石でデスクにソファ、ダブルベッドと、その名残があるとはいえ、バスタオルはともかく、フェイスタオル、歯磨きセットなし。必要はないが、ドライヤーは古くて煙臭い臭いがして、使っていたら、すぐ止まってしまった。故障かと思ったら、しばらくして、また動いた。

水は500ミリL1本。冷蔵庫に有料の2L入りが2本。ビールを探しにホテルを出ると、あたりは衣料・宝石・化粧品などのファッショナブルな店の集まったストリートで、マクドナルドやバーガーキングなどがあった。
結局、歩いたあたりにはなかったので、引き返して食料品や日用品があるコンビニ的な店で、炭酸飲料と水、クッキーケーキを買った。170ルピー。10ルピーと20ルピーのお釣りである。
その日は、お祭りの日曜日のため、お酒は売っていないということで、久しぶりのアルコールなしの1日となった。残念だが、別にどうということもない。
気がつけば夜10時を過ぎていて、11時前にはライトを消した。だが、定期的にエア
コンなのか大きな音がして、とても眠れる環境ではない。
何か、嫌な予感?
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