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 越後堀之内「宮柊二記念館」主催「和歌の作り方」十箇条とは 岩手「短歌甲子園」と第29回「宮柊二記念館全国短歌大会」


 越後堀之内「宮柊二記念館」主催「和歌の作り方」十箇条とは
 岩手「短歌甲子園」と第29回「宮柊二記念館全国短歌大会」




 越後堀之内(新潟県魚沼市)にある「宮柊二記念館」から、定期的に機関紙「記念館だ

より」が届きます。

 記念館では短歌教室、宮柊二セミナーの他「短歌セミナー」(講演会)などが行われて

います。

 2024年1月21日、歌人で「コスモス」選者の橘芳國氏による「短歌セミナー」が

行われるというので、詩人・H氏に訪ねてもらいました。演題は「推敲のための十箇条〜

短歌教室作品を令として〜」です。



 毎年1月の越後堀之内は、雪の中という光景が普通ですが、今年は雪ではなく雨が降っ

ていたと話していました。

 とはいえ、そんな冬の最中に、短歌セミナーに30名を超える地域の住民が集まってく

るのですから、宮柊二記念館の地道な活動ぶりが感じられます。

 以下、H氏からのレポートです。


         *                    *


 18年続く「短歌甲子園」

 日本は和歌(短歌)の国である。

 日本の1年は、正月に始まる。一連の正月の行事の中で、書き初めも大切だが、そこに

書かれるべき和歌も同様である。そして、宮中における歌会始がある。

 日本の歴史を振り返れば、万葉の時代から和歌は天皇から庶民・遊女に至まで、同じ舞

台に立って歌い継がれて、いまも新聞・雑誌その他、至る所で和歌が詠まれている。

 その言葉の調べは、世界の俳句HAIKUとは微妙に異なり、御神籤の御託宣にも用い

られているように、何でも包み込む「和」の要素に富んでいる。

 古いようでいて、歌会始には毎年、必ず高校生らの歌が選ばれていて、学校での活動も

盛んで、いまや毎年夏には「短歌甲子園」(全国高校生短歌大会)が開催されるまでにな

っている。

 短歌甲子園は石川啄木の故郷・岩手県盛岡市で2006年から開催されていて、全国の

高校生の日本一を決める大会である。

 2023年8月の18回大会には、27校40チームが参加したという。

 出場校は3人1組で参加。決められた題の言葉を用いて短歌を詠むというもの。そして

対戦校は壇上で、交互に一首ずつ短歌を披露していき、審査員の投票で勝敗が決まる仕組

みである。

 チームでお互いの短歌を講評、切磋琢磨して腕を上げていくという。

 SNS全盛の時代にも、5・7・5・7・7の31文字が、若者の心をとらえている。

その昔、和歌の上手下手が教養の高さの基準となり、男女ともモテるかモテないかが左右

されていたらしい。

 和歌が古くて新しい、老若男女を問わず親しまれている。それは、甲子園というスポー

ツに限らないが、戦いではあっても、よくある戦争とは異なり、血を見ることはない。

 その戦う姿とともに和歌は「日本」が世界に届ける「平和」のメッセージなのである。


 推敲のための十箇条とは

 2023年度の第29回「宮柊二記念館全国短歌大会」の選者を務めた歌人・橘芳國氏

(78)によるセミナーは、堀之内公民館で開催された。

 橘氏は「短歌教室」で詠まれた歌を紹介しながら「短歌づくり」のポイントとなる「推

敲のための十箇条」を一つずつ上げていった。

 田上から来ましたと、マイペースで語る橘氏のセミナーは、語り口同様、十箇条を1か

ら順に伝授するのではなく、最初に結論というのか、第10番目の説明から始まった。

 まずは「歌会に出る」こと。人に見てもらう。仲間がいて、お互いのいい点、悪い点を

指摘しあうことで、改めて客観視できる。添削されることが嫌で歌会に出なくなった友人

がいたというが、やはり納得できる先生・指導者の歌会に出たほうがいいというのが、1

0番目だが、案外、重要なポイントである。

 次が、1番目の「客観写生に心掛ける」こと。実例として孫の歌などはつくりやすいが

情が絡むこともあり、気をつけないと独りよがりになりがちで、パターン化しやすいとい

う欠点がある。橘氏は歌人の高野公彦さんの亡き母を歌った「一周忌めぐり来し家ガラス

戸をぜんぶ閉めても春寒の中」を上げて、ガラス戸を通じて寒さを表現(客観写生)して

いると語る。

 2番目が「意味が重複する言葉を使わない」こと。桜を詠むときは春は省略する。つま

りは要らないものは省略するのが基本だが、難しいのはそうじゃないこともあるためだ。

 次が5番目の「あまりルビに寄りかからない」こと。安易なルビの使い方に対する注意

である。

 4番目の「オノマトペ(擬音)に注意する」こと。ありふれたオノマトペは使わない。

 6番目は「安易な主観語は使わない」こと。言いたいことを相手に想像してもらうこと

が大事だという。もっとも、橘氏はそういうことを気にせず歌をつくっているという。

 7番目は「動詞を3つ以上、使わない」こと。とはいえ、使わないでいい歌もあるが、

使っていていい歌がいっぱいあるのも現実である。

 8番目は「記号を正しく使う」こと。カッコ、句読点の他、漢字とひらがなのバランス

が大事。漢字は見ただけで引っかかる感じだがするが、ひらがなは柔らかい感じがする。

 3番めは「決まり文句は止めましょう」ということ。短歌教室の歌から「吾のとは違う

記憶を持ちよりて幼なじみはタイムマシンのごと」の「ごと」は、橘氏はなるべく避けて

いる言葉だそうで「タイムマシンのごと」を「いまタイマシンに」と添削していた。

 9番目は、調べることが大事であり「読み返してみる」こと。当たり前だが、推敲する

ときの大事な注意点である。

 以上、十箇条を順不同で紹介していたが、橘氏はこれは一つの原則ということであり、

短歌をつくる際に参考にするべき指針ではあるが、実際には現代詩と同様に、自由に歌う

ことで、何が正しいのか、正解はないと語っていた。

 確かに、十箇条の法則を無視した短歌で、人々を感動させてきた歌はいくらでもある。

 宮柊二自身「新潟日報」に連載されてきた宮柊二の歌「言の葉の泉」の中で、例えば次

のような歌を詠んでいる。

「たましいに見極めたしと思ふもの歌うまきより文うまきより」

 要するに「うまい歌も文章を作ることは無論、大切だが、それ以前に人間としてどう生

きるか、どうあるべきかを見極めたい」と解説にはあった。

 橘氏の「十箇条」の最終的な結論、短歌づくりの原則は、重要ではあっても、それは一

つの考え方であり、自由につくって自分の納得のいくものが一番でもあると語っている。

 全国短歌大会ジュニア部門

 今年第18回の短歌甲子園に対して、宮柊二記念館全国短歌大会は、今年で第30回を

数える。

 毎年、全国短歌大会の入選作は「入選作品集」という小冊子になっている。

 記念セミナー(1000円)の日は、宮柊二記念館の入場料が無料になり、当日も、記

念館のロビーに入選作品が展示されていた。

 短歌セミナーの十箇条通りかどうかはさておき、第29回の入選作を見ていると、個人

的には素直で発想豊かなジュニア部門の子どもたち、学生たちの歌に、和歌の世界という

か、短歌大会の将来性を実感する。

 それは相変わらず、戦争だらけの世界で「歌なんか詠んでいる場合じゃない」と、ロシ

アやウクライナ、イスラエル・パレスチナでは言われそうだが、事実、ロシアではコンサ

ートホールがテロの銃撃対象になっている。

 一方、日本からのメッセージは「戦争による人殺しゲームなどしている場合じゃない」

ということだろう。

 どちらがおかしいのか、ネットやニュースの映像を見ていると、平和ボケの日本が明ら

かに異常のように思えてくる。本当だろうか?

 以下は、おまけのナンセンス詩である。


 詩・殺人数を競う英雄たち

 ナンセンス詩「殺人数を競う英雄」


 もの心ついたころ

 「平和保育園」に入園したのが

 遠い日の私の原点

 「NHK」永遠の5歳

 チコちゃんをたまに見て

 理想の小学生に憧れる

 平和はコロナウイルスか

 ワクチンのように身に染みている

 そこでは平和の始まりも到達点も

 人生に似ていると

 信仰に生きたおばさんが教えてくれた

 産まれたときは戦時下でも一見は平和

 誰でも共通する人生の到達点

 生の他には死しかない

 そして共通の理想は愛と平和だけ

 平和を生きれば簡単なはずなのに

 複雑な死を演出するのも人生と

 殺人を正義とする正当防衛などなど

 言い訳が何と多いことか

 その度に死が複雑化して

 世界は殺人数を競う英雄たちで満ちている

 文明・先進国の集うナンセンスな現代

 平和が貴重な理由である



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