81年目の広島・長崎「原爆」の持つ意味について 改めて問われる書『ヒロシマの影』で明らかにされた核・原爆投下!
- vegita974
- 4 時間前
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81年目の広島・長崎「原爆」の持つ意味について
改めて問われる書『ヒロシマの影』で明らかにされた核・原爆投下!

アナーカ・フェミニズム?
終戦から81年後の8月、日本の暑い夏が過ぎても、世界は相変わらず、原爆の悲劇などなかったように、ゲームのような戦争を続けています。
2026年の9月、「食欲」はさておき「読書の秋」というにはほど遠い昨今、読書のスタイルも昔とは様変わりして当然です。
素読から黙読、熟読など、いろいろな読書の在り方がある中で、多くの本好きにとって無視できないのが「積読」ではないでしょうか。
とはいえ、電子書籍が盛んになる中での「積読」とは、どんなものなのか。
どんどん送られてくるメールやメッセージなどを開く前に、次から次へと削除するスピードが追いつかないまま、積み上がっていくようなものなのでしょうか?
と、そんなどうでもいいことを考えたのも「積読」書籍は、実際に読まなくとも「いつでも読める」という安心感とともに、半分は読んだ気になっているようにも思えるからです。
問題は、本来、読んでおくべき本に関して、いかに知らないことが多いのかという現実です。
今春、普及版が出たおよそ100年前の『何が私をこうさせたか』(金子ふみ子獄中手記/春秋社)など、まさにそんな思いにさせた衝撃の書です。
本の帯には、若者に人気の『布団の中から蜂起せよ--アナーカ・フェミニズムのための断章』(人文書院)の著者・高島鈴氏の「百年の時を超えて、胸ぐらを掴まれる。あなたの生きざまが、まなざしが、今も私ごと、世界を激しく貫いている」との推薦文が掲載されています。
アナーカ・フェミニズムとはアナキスト理論の原理とフェミニズムを組み合わせた分析体系とのことです。アナキズムの進化系ということでしょうか。
高島鈴氏の本にしろ、アナーカ・フェミニズムにしろ、世代のちがいもあり、浅学にして知らないことばかりです。

国際ジャーナリスト
その昔、ゼミの先生から東大生と、当時の立教大学の学生とのちがいについて、一番は「読書量の差」だと言われたことがありました。文学全集一つとっても、東大生の多くは当たり前に全巻読んでいるのに対して、立大生はそのうちのいくつかというわけです。なるほどと納得したことがあります。
そんな読書も次から次へと新刊が出て、全巻読破しようと思っても、とても、そのすべてを読むことなどできません。「これだけは」という重要な書籍だけでも、積読はできても、読むとなるとキリがありません。
そんな中、たまに図書館に行くと、自分でお金を出して買うことはない本に出会うことがあります。
7月始め、法律関係の書籍を見ていると、隣りにウィルフレッド・バーチェット著『ヒロシマの影』(文芸社)がありました。『梨本宮家と靖国の影』(早河策毘頼著/三和書籍)に共通する「影」に引かれたわけでもありませんが、8月は広島・長崎原爆の季節です。
その『ヒロシマの影』が英国「ディリー・エクスプレス」特派員だったW・バーチェット氏(オーストラリア出身)の仕事を知るきっかけとなったわけです。まさに国際ジャーナリストの仕事です。
一読すれば、たまたまジャーナリストになった「ウエルネス@タイムス」記者には、同じ「ジャーナリスト」の肩書を使うこと自体がおこがましく思えてきます。
本の帯には「全世界への警鐘として、これを書く」とあり「爆心地に初めて足を踏み入れた欧米のジャーナリストが見た、広島と長崎でおこなわれた『犯罪行為』の全容」と書かれています。
嘘ではありません。「全世界への警鐘」です。
とはいえ、本書が日本で出版されたのは、戦後80年、2025年6月です。原著は40年以上前の1983年です。しかも、書かれているのは、80年前の広島・長崎原爆における戦争犯罪です。
連合軍、特にアメリカによる核の実験が、その後の情報操作を含めて、改めて、終戦当時から戦後にかけて、日本の周辺で“勝者”が、どのようなことを考え、どのようなことをしていたのかを明らかにしています。
ジャーナリストである以前に、一人の人間として本書を読んでいなかったことを、恥ずべき無知だと思うばかりです。

GHQの検閲を逃れて
戦後81年目の8月6日、広島原爆の惨状を、例えば「日経新聞」の「春秋」では「身体のいたるところにウジがわいて、腹の周りは紫色になり、口や耳からは血ウミが出た。そして、口から青黒いものをどくどくと吐き」と紹介しています。
「原爆資料館」元館長・高橋昭博氏が著書『ヒロシマ いのちの伝言』(平凡社)で書いた、当時、ともに被爆した級友の死の姿だということです。
一月後とはいえ、爆心地を歩いたバーチェット氏の『ヒロシマの影』にも、当然ながら悲惨な状況が描かれています。しかも、それは肉体面だけではなく、精神面での苦痛も含まれています。
同様に、原爆を投下した人物(飛行士)が、戦後、広島・長崎の惨状を知って、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症するなど、戦争の悲劇はその後のベトナム戦争や近年のロシア・ウクライナ、アメリカ・イランなどに共通するものです。
それにしても、終戦後の日本で、GHQ(連合軍総指令部)の検閲を逃れて、なぜ世界に広島の惨状を伝えることができたのでしょうか。あるいは、なぜ本書は、広島原爆のおよそ40年後に出版され、日本では戦後80年の年に出版されたのでしょうか?
バーチェット氏が広島を訪れたのは、1945年9月3日です。単身で広島に入り、原爆の惨状と被爆者たちが奇妙な症状を呈して、次々と死んでいく様を「原爆による疾病」との記事にしています。
それはマッカーサー元帥が厳しい報道規制を行う直前だったことから、彼の記事は検閲を逃れ、原爆による放射線障害の悲惨な状況を全世界に知らせることになったのです。
原爆投下から38年後に、本を書くことになったことに関して、バーチェット氏は「はじめに」で多くの理由があると記すとともに、実際には広島の記事を書いた後「数日後にはヨーロッパに派遣されて、数多くの国際紛争地域を訪れることになってたからです」と書いています。
そのため、初めての核戦争から四半世紀が過ぎた1971年になって、再び広島を訪れることができたとのことです。その後、10年間に何度も広島を訪れた結果、広島・長崎で行われた犯罪行為の全容を、これまで十分に把握していなかったとの結論に至ったというのです。
「なかでもアメリカ政府が、日本に原爆を投下した理由と、被爆者の長期的な影響を隠蔽し続けてきたことを、これまで見くびってきたのです」と振り返っています。
つまり、彼が見てきたことと同時に、客観的に調べたことは、アメリカ政府が計画し、原爆を落とし、その被害を隠し続け、逆に原爆の正当化と、日本人への情報操作の実態を暴くことになるのですから、その持つ意味の大きさと使命感を想像すれば、やはり38年の時間が必要だったのかもしれません。
後は、本書を読んでもらうしかありませんが、広島に続く長崎原爆に関しては、1945年9月6日に長崎入りした米「シカゴ・デイリー・ニュース」特派員ジョージ・ウィラー氏が『ナガサキ昭和20年夏』(毎日新聞社)に書いています。
表題の頭に「GHQが封印した幻の潜入ルポ」とあり、2007年7月に出版されたものです。当時、すべて没にされた記事をカーボンコピーしていたために、父親の死後、編著者である息子アンソニー・ウィラー氏(作家)が、本にしたものです。
『ヒロシマの影』とともに、こちらは作家・柳田邦男氏が「日本語版への序文」に「『戦争を考えさせる報道』の挑戦記録である本書は、世界的に危機を深めるいまこそ読み直す価値がある」と書いてある通りです。
優れたジャーナリストの仕事は、時代との戦いであると同時に、時間を超越することを教えています。

トルーマンの陰謀?
広島・長崎への原爆投下に関して『ヒロシマの影』では「すべて必要なことだったのか?」の一章を割いて、当然の疑問を投げかけています。
太平洋戦争末期、急死したルーズベルト大統領の後を継いだトルーマン大統領は、イギリスのチャーチルやロシアのスターリンと比べれば、明らかに役不足。小者と見なされていました。
そんなコンプレックスを抱えたトルーマンは、日本に戦う余力がなく、降伏することがわかっていながら、時間稼ぎをしながら、ロシアの参戦と原爆の完成とともに、最初に日本に新型原爆(原爆)を投下する日を待っていたわけです。
そして、戦後、ロシアの台頭を抑えるためには、原爆の威力を見せつけるしかないと考えていたというです。それがルーズベルトに代わって、大統領に就任したトルーマンの陰謀です。

『ヒロシマの影』及び『ナガサキ昭和20年夏』の出版前、2005年6月に出版された近現代史研究家・鳥居民著『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』(草思社)には、その辺の事情が一部、彼の推測を交えて描かれています。
その推測は、後に出版された『ヒロシマの影』、『ナガサキ昭和20年夏』によって、補足・証明されています。この2冊の本は、広島・長崎原爆だけではなく、また単なる原爆・戦争のルポルタージュではなく、極限における人間観察・研究書としても、興味深い内容になっています。
いまなお、戦争の続く時代の必読書ということです。



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